長崎街道

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長崎街道

 長崎街道は、正式には長崎路、別名を肥前街道、豊前街道と呼ばれた。小倉から筑前六(む)宿を経て、肥前に入り、天領の日見(ひみ)、長崎に至る二十五宿、五十七里(二二八キロ)の道のり。当時の人はこの距離を約一週間で歩いたそうです。

 江戸時代鎖国下にあった日本にとって、この街道は当時海外との交流を許された長崎とを結ぶ最重要の幹線。これは江戸幕府の西洋やアジアとの対外交渉の拠点でした。

 また、筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩など諸大名の参勤交代のほか、長崎奉行や郡代の交代、さらにはオランダ人や中国人の江戸参府や交易・献上品の運搬に重要な役割を果たしています。  江戸時代、長崎街道を通じて、様々な物・技術・文化が海外から日本へ、また、日本から海外へと伝わっていきました。

 例えば、食文化に大きな影響を与えた「砂糖」。長崎街道を通り、日本各地へ広がっています。経済発展していた長崎街道地域は、菓子文化が他の地域と比べて発達しており南蛮菓子を起源に持つ、「丸ぼうろ」「カステラ」「鶏卵そうめん」といった甘いお菓子が誕生しました。また、小城や飯塚といった菓子製造業が盛んな地域や、伝統行事に砂糖をふんだんに使う地域が多く、この事から、長崎街道は俗に『砂糖の道』『シュガーロード』とも呼ばれています。

 十七世紀後半から十九世紀には、長崎街道を使い肥前陶磁器が盛んに輸出されます。有田、波佐見から、東南アジア、ヨーロッパへと渡り世界の焼き物文化に大きな影響を与えました。  様々な文化が行き交った道、それが長崎街道です。街道沿線の各地には、宿場町が大いに栄えます。今日においても往事を忍ばせる家並みや町並みとともに、異文化の香りをとどめる様々な歴史や文化が残されています。

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